「キリストに結ばれた人」  04.09.19
                   テサロニケT 4:13〜18

 永眠者記念礼拝です。死は、愛する者との別れとそれによる悲しみを
引き起こします。<希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまない
ために、ぜひ次の事を知っておいてほしい。>(13節)とありますが、
死による別れを悲しむことは、人として当然のことであり、それを禁じて
いるのではありません。主イエスもラザロの死の際には涙しました。
ただしそれは、希望を持つ者としての悲しみです。私たちには、神が眠りに
ついた者たちを死から導き出して下さる復活の命への希望があります。
<イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。
神は同じように、イエスを信じて眠りについた人々をも、イエスと一緒に
導き出してくださいます。>(14節)と言われる通りです。

 「死は誰にも避けられない。しかたがない。あきらめよう。」
当時のギリシャでは、そのように慰めあうことがあったそうです。
現代でもそんな慰めしかできないと思っている人は、多いでしょう。
確かに死は、人間にはどうにもできないことです。相手のことをどんなに
愛していようとも、自分に力や富や権力があろうとも、人間には受け止める
しか出来ないことです。
 しかし、私たちが聞かされるのは「神は、導き出してくださいます」との
言葉なのです。イエスさまを復活させられた神さまがどうされるか、です。
従って、死はあきらめるしか出来ないとは信じないのです。

 16〜17節には、導き出されるときの様子が描かれています。
ここにはっきりしているのは、その時には二つの出会いが起こるという事です。
「わたしたちはいつまでも主と共にいることになります」とありますように、
主との出会いと、眠りについた者との再会が起こります。
しかも、それは永遠の事柄となるのです。死や別れが永遠のことなのでは
ありません。死と別れには、解決の時があるのです。

 
私たちは、神さまが導き出してくださることへの希望を語り合います。
人が言葉を失うような所でも、神さまの言葉を語り合って、
励まし合うのです。